2026/10/18:Dutra
年が明けて2023年、滑り出しは発作もなく穏やか。
その後もパパがちょっと入院したりはあったけど、僕は日々元気で春には桜を3人で観て、GWには江ノ島に海を見に行ったりと、このまま治って薬も飲まなくてよくなる日も近いのかな、なんてみんな思っていたんだ。

その日常が再び壊れたのは8月4日だった。
この日、逆さまつ毛を抜いてもらおうとママと病院に行った。
たまに抜いてもらってたんだけど、僕はけっこうこれが嫌い。
診察台に乗って処置をしようとした途端、発作が起きた。
泡を吐いて痙攣を起こしたんだ。
それをきっかけに8月にもう一度、9月に二度発作を起こした。
僕の脳がてんかんを思い出してしまったようだった。
10月に入ると1、5、6、9、12、14日と発作を連発。
場所も家の中だけじゃなく散歩中に公園で痙攣しだしたこともあった。
そして最も重篤な状況に陥ったのが16日12時50分頃。
この日家にいたママがキッチンで洗い物をしている時だった。
僕は発作を起こしソファーから転げ落ちた。
ママが駆けつけ、30秒程度で発作は一旦落ち着いた。
しかし、まだ意識が戻らないくらいの時に再び発作。
それを3回繰り返したんだ。
もちろん、僕はこのことを知らない。
覚えてない。
ママが先生に電話して、急いで僕を病院連れて行ってくれた。
発作の頻度が多いのでその日は入院することになった。
ママが僕を置いて帰っちゃうのがすごく不安だったけど、次の日に迎えに来てくれるって言う言葉を信じて頑張れた。
翌17日、ママは約束どおり夕方に病院に迎えに来てくれたけど、僕は家には帰れなかった。
その日のお昼前、病院で発作を起こしていたからだ。
ママは先生とお話しして帰って行った。
点滴をした僕は帰りたそうにママを見つめていたらしい。
翌日、ようやく退院出来た。
迎えに来たママに飛びついて、逃げるように病院を後にした。
はやく家に帰りたいってのもあったけど、実は💩がしたかったんだ。
僕はデリケートだから病院で💩が出来なかった。
三日分の💩を溜め込んでいたんだ。
ママの印象だと、帰り道ずっと💩してたイメージなんだって。
そんなバカな。
でもなんとか無事帰宅。
パパにも会えた。

あの入院中の発作から今日まで、発作は一度もない。
今日でまる三年経過。
パパママが高くて不味いお薬を毎日くれるからだよね。
不味いからたまに残して、パパママに怒られるけど感謝してますよホントに。
だから僕にはパパママに多大な恩がある。
なのでマズルをムギュムギュされても我慢してるんだ。
これでチャラだからね。
パパママがよく言ってるのは、てんかんを発症してから僕がパパママに甘えられるようになったということ。
ソファーでパパママの間に潜り込んだり、膝に乗らせろと要求するようになったのは病気なってから。

甘え方がよくわからなかったからね。
眠い時はソファーの背もたれとママの間に。
寒い時はパパの膝の上がいい。
これは病気になって良かったところ。
でも平穏な日常が一番いい。
来年も再来年もその先も。
















